杉野はいずこ 杉野はいずや (1904年)

AD1904/03/26 第2回旅順口閉塞作戦(~27日)
AD1904/03/27 第2回旅順口閉塞作戦。広瀬武夫少佐が壮烈な戦死(死後中佐に昇進)

その名も「広瀬中佐」という唱歌がありまして、なぜか小学生のころから知っていました(笑) もっとも、そのころはどうも「勇敢なる水兵」と状況を混同していたきらいはあります。とくに軍事ヲタでない私は当然のことながら閉塞作戦なんて知らなかったですから。

とはいえ今の時代、閉塞作戦を知らない人はけっこういるようで、日本映画専門チャンネルのホームページに次のような解説記事(リンク切れ)がありました。

“杉野はいずこ”広瀬少佐といっても誰もわからないかも知れないので、ちょっと説明しよう。自分の乗っていた戦艦《ママ》が敵の攻撃を受けて大破、沈没寸前というとき、広瀬少佐は乗組員を全員救命ボートで脱出させたあと、火柱が上がりどんどん浸水する艦内でたったひとり姿の見えない部下、杉野を探すのだ。しかし、とうとう見つけられずに自分も杉野も艦と運命をともにしてしまう《ママ》、という話なのだ。当時は、部下を思い遣る上官の美談として語られて有名になった。

何の映画の解説かは忘れました。

話がそれましたが、その唱歌「広瀬中佐」に

やみをつらぬく 中佐の叫び
杉野はいずこ 杉野はいずや

というフレーズがあります。杉野さんっていったいどうなったんだろう? となんとなく疑問に思っていました。たぶん亡くなったんだろうという想像はできましたが、とくに軍事ヲタでない私は広瀬中佐とともに軍神レベルに祭り上げられているなんて知りませんでしたし。

ただ、実際には死亡は確認されていなかったようです。林えいだい『日露戦争秘話 杉野はいずこ―英雄の生存説を追う』によると、東郷平八郎司令長官の報告書には杉野孫七一等兵曹は「戦死せるものゝ如く」とあるだけで、今流の言い方では行方不明ということだそうです。

そういうこともあり、杉野さんについては日露戦争直後から生存説が流布していたようです。

しかし、かりに生存していたとしても、広瀬「中佐」を軍神扱いする以上、杉野「一等兵曹」も戦死していないとサマにならないわけです。軍神扱いをされていた本人に生きていられては当時の軍部としては困るわけで、帰国はかなわず、杉野孫七という個人がこの世からいなくなったことには変わりありません。

ちなみに、広瀬中佐はロシアに滞在したこともあり、ロシアに恋人もいたそうです。このあたりは“年末の大河ドラマ”「坂の上の雲」で詳しく描かれていました。

「坂の上の雲」といえば、このドラマが放送されていたころ、“広瀬はいずこ”でググって私のブログに来る人がいて、最近のなんとかウヨは広瀬中佐も知らんのかと思ったものです。

《参考文献》 林えいだい, 日露戦争秘話 杉野はいずこ - 英雄の生存説を追う. 新評論, 1998.

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