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椅子「投」げるな!! (2011年)

2011年3月7日に行われた広島県の公立高校入試での話です。 asahi.com (リンク切れ) より、 試験場に漢字の答え 椅子「投」げるな 広島の高校入試 広島県教委は8日、7日にあった公立高校入試の国語の試験で、試験場の椅子の背もたれに貼られた注意書きのラベルに、漢字書き取り問題の答えが含まれていた、と発表した。 県教委によると、問題(配点1点)は、「パラドックスをナげかけて」の「ナ」を漢字で書かせる内容だった。 しかし、全日制と定時制の計8校で「いすを投げたり、倒したりしないでください」とラベルが貼られた椅子152脚があり、後ろに座っている受験生から見える位置にあった。県教委は、8校の受験生1255人について、この問題を正解にすることにした。ラベルは椅子のメーカーが貼ったものだった。 県教委は試験前に、試験場内の掲示物を取り除くよう指示していたが、8校はそのまま試験を実施したという。 わざわざ「いすを投げたり、倒したりしないでください」という注意書きがあるということは、この地域の高校ではそういったことが頻繁に起きているということでしょうか? 東北地方太平洋沖地震 まであと4日……。

JR福島駅の発車メロディー決まる (2009年)

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2009年3月8日の 福島民報 (リンク切れ)より: 新幹線では「栄冠は君に輝く」 JR福島駅の発車メロディー決まる JR福島駅の発車メロディー選考会は7日、福島市のコラッセふくしまで開かれた。福島市出身の作曲家、故古関裕而氏の生誕百周年を記念し、新幹線ホームを「栄冠は君に輝く」、在来線ホームを「高原列車は行く」に決めた。4月11日の始発列車から採用する。 選考委員ら約20人が、市民からアンケートで募った候補曲の中から発車メロディーにふさわしい曲を選んだ。 「栄冠は君に輝く」は夏の全国高校野球選手権大会のテーマソングで知られていることやアンケートで最も多く支持を集めたことが要因。「高原列車は行く」は軽やかでテンポが良く、曲のタイトルも在来線ホームの発車メロディーとしてなじみやすいことが採用理由となった。 今年は古関氏の生誕百周年。発車メロディーで昭和の大作曲家が生まれ育った福島市を全国にPRしようと、福島青年会議所、JR福島駅、市が中心となって準備を進めてきた。 (2009/03/08 08:58) ずいぶん前から福島駅の新幹線ホームで「栄冠は君に輝く」が流れていたような気がするんですが、案外、最近のことなのですね。これより前は何の曲だったか、まったく覚えていません。 「栄冠は君に輝く」は聞いたことのない人はほとんどいないのではないでしょうか。作詞は加賀大介、作曲はもちろん古関裕而。 私は伊藤久男さんとコロムビア男声合唱団による、このオリジナルバージョンが好きです。 「高原列車は行く」については今回は触れませんが、古関メロディーの最高傑作と称える人もいるくらいの名曲です。 ところで、2020年に放送された連続テレビ小説(通称朝ドラ)「 エール 」の主人公のモデルは古関裕而さんと妻の古関金子(きんこ)さんでした。 放送前は、誘致を呼びかける次のような横断幕が福島駅前にありました。 放送が決まってからしばらくは外されていたのですが、放送が始まると次のような横断幕が登場しました。 この写真ではわかりにくいですが、横断幕の下にはハモンドオルガンを弾いている古関裕而氏の像があります。2009年8月11日に設置されたそうです。8時から20時まで30分ごとに古関メロディーが流れるそうです。 「エール」に関連して、少し余談です。大した話では...

ホントはこわい「アテンションプリーズ」

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アテンションプリーズ は1970年にTBS系列で放送されたドラマ「アテンションプリーズ」の主題歌です。作詞:岩谷時子、作曲・編曲:三沢郷、歌:ザ・バーズ。 2006年に放送されたリメイク版ではないです。 ドラマの内容についても書きたいことはありますが、はっきりと覚えているわけではないので、ここでは割愛します。興味のある方はググってみてください。 もっとも、なにしろ古いドラマですし、最近は再放送もほとんどされていないようなので、それほど情報は出てこないと思います。ただし、デジタルリマスターされ、DVD-BOXも発売されているようです。 聞くと前向きな気持ちになれる、単純にいい曲です。最近の“主題歌”にはこういう曲はめったにありませんねぇ。 訳のわからん歌も多いし。 ただ、実はかなり怖い歌なんです。 ♪陽に光り展ける波を 今私は見る アテンション・プリーズ アテンション・プリーズ 揺れ動く愛の雲間を ひとすじに つづく私のエアルート エアルート 恋人はここにもいないかもしれない でも私は飛ぶ 私は飛ぶ 私は飛ぶ 飛ぶの 1番の歌詞にはとくに怖いところはありません。テレビ版は1番しかないので、テレビを見ていて怖さを感じた人はひとりもいないでしょう。 ところが、レコード版にある2番はいきなりの恐怖です。 ♪朝やけの花粉を浴びて 今私は着く アテンション・プリーズ アテンション・プリーズ …… 花粉を浴びるんですよ!! 1970年ごろは、花粉症がまだそれほど一般化していなかったと思われるので、こんな表現でもよかったのでしょうねぇ。

今日は天敵の日

今日は 二十四節気 の 啓蟄 です。現在、啓蟄は太陽が黄経345°を通過する時点とされており、今年は正確には3月5日の22時59分にあたります。一方で、二十四節気は本来「期間」を表すという考え方もあり、それに従えば今年は3月5日から 春分 の1日前の3月19日までが啓蟄ということになります。 啓蟄は、 極寒の時伏蔵したる諸虫戸を啓出(ひらきいづ)る という意味で、これまで土の中にもぐっていた虫たちが姿を現す時期のことです。 節足動物の類が死ぬほどきらいな私にとっては、啓蟄はまさに 天敵の日 です。ただ、この世でいちばんきらいな昆虫であるセミはまだ土の中なので、そのぶん助かってはいるのですけれど……(笑) 啓蟄を過ぎるころから、太平洋側の地方では雷が発生しやすくなるため、 虫出しの雷 とよばれています。日差しが強くなり、積乱雲を発達させるだけの上昇気流が生じるようになるということでしょう。この雷に虫が驚いて出てくるというわけです。 しかし、雷に驚いた人間が家から外へ飛び出すことがまずないのと同じように (地震の際に、慌てて外へ飛び出そうとしてケガをする人の話はよく聞きますが) 、虫も雷に驚いたとしたらかえって地中へ引っ込む気がするのですが……。地中から出てくるとすれば、微妙な地電流の影響や、振動などを考えたほうが自然かもしれません。 ちなみに調べてみると、太平洋側で雷が多くなるのは、啓蟄のころというより4月に入ってからの地域が多いようです。 一方、日本海側ではこの時期から雷が少なくなります。雷が少なくなるから、小動物たちも安心して地上に出てくるのでしょうか。

ハイセイコーの“都落ち”

1973年3月4日、 ハイセイコー が中央競馬に颯爽とデビューしました。 この日、南海上の移動性高気圧におおわれて午前中は晴れていましたが、日本海と九州の南海上に低気圧が進んできたため、午後からくもってきました。しかし、気温は平年並みで、競馬観戦にはまずまず。 こんな陽気も手伝って、第10回弥生賞が行われる中山競馬場には、ハイセイコーをひと目見ようと前年の有馬記念より多い12万人を超える大観衆が詰めかけました。スタンドには観客が溢れ、金網を越えて観客が芝コースにこぼれ落ちたという伝説は本当にあったことで、映像にも残っています。 -------------------------------------------------------------------- 1973年 3月 4日(日) 1回中山4日 天候: 曇  馬場状態: 良 10R 第10回報知杯弥生賞 4歳・オープン 芝 1800m  10頭立 -------------------------------------------------------------------- 着枠 馬 馬名        性齢 騎手   斤量 タイム 人   廐舎 -------------------------------------------------------------------- 1 6 6 ハイセイコー    牡 4 増沢末夫 55 1.50.9 1 鈴木勝太郎 2 5 5 ニューサント    牡 4 伊藤正徳 55 1 3/4  6 尾形藤吉 3 4 4 キクカギョクリュウ 牡 4 東信二  55 1 1/2 10 境勝太郎 4 8 9 カミノテシオ    牡 4 加賀武見 55 アタマ 3 高橋英夫 5 1 1 ベルロイヤル    牡 4 矢野照正 55 1 3/4  8 阿部正太郎 6 2 2 タケデンパワー   牡 4 岡部幸雄 55 クビ  7 稲葉秀男 7 3 3 タケホープ     牡 4 嶋田功  55 2    4 稲葉幸夫 8 7 7 ナスノオーカン   牡 4 田村正光 55 3/4   9 稲葉幸夫 9 8 10 クリアスカ     牡 4 郷原洋行 55 9    5 吉野勇 10 7 8 ユウシオ      牡 4 横田吉光 55 2 1/2  2 菊池一雄 ...

東京地方に史上初の大雪警報 (1969年)

1969年3月4日の東京。前日夕方に発表されたこの日の天気予報は、「北ないし東の風、曇のち午後から一時雨」でした。 ところが、予報に反して夜明け前から雪が降り出し、午前9時には2cm積もりました。この段階ではまだ気象庁は大雪になるとは予想しておらず、11時30分になってやっと大雪注意報を発表しました。このとき、積雪はすでに9cmに達しており、2月27日の7cmを上回っていました。 積雪が15cmに達した14時には、ついに東京地方に大雪警報が発表されました。東京地方に同警報が発表されたのは、これが史上初のことでした。 最深積雪は3月としては観測史上第2位(当時。現在では第3位)の19cmに達し、まったくの不意打ちの大雪になりました。実はたった5日前の2月27日も不意打ちの雪に見舞われており、 新幹線より雪に弱い気象庁 のレッテルが定着することになります。 不意打ちだろうがなんだろうが、東京に雪が積もればお決まりのパターンが待っています。鉄道は大混乱、道路は渋滞、人はスッテンコロリン。 さらにこの日は、国立大学の一期校の入試の日でした。大きな影響を受けたのは間違いないですが、当時の大学はちょうどゼンキョートーだかなんだか、今となっては意味不明の団体が入試反対を叫んで暴れていたころで(東大の入試が中止になったのもこの年)、雪が降らなくても混乱していました。 まさか8日後にこの日を上回る大雪になるとは……。

北信濃絶唱 ~昭和のうた~

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1972年1月4日~3月3日 1 に放送された 花王愛の劇場「北信濃絶唱」 の主題歌です。歌は 野路由紀子 さん。作詞は西沢裕子、作曲は渡辺岳夫。西沢裕子さんはドラマの原作者でもあります。 イントロがすばらしいですね。 テレビバージョンはこちら。ドラマの冒頭の一部も入っています。 北信濃絶唱 OP ドラマはざっと次のようなストーリーです。 北信濃絶唱|ドラマ・時代劇|TBS CS[TBSチャンネル] より引用します。 日本アルプスの山々に囲われ、千曲川が流れる北信濃に生まれ育った北上圭子(島かおり)は、アルバイトの花の配達途中に、東京から来た画家志望の青年・笹村英二(大林隆介)と知り合った。圭子には、最近祖父の久造(河野秋武)と芸者をしている姉の幹子(藤田佳子)との争いが悩みの種だった。幹子には5年前に別れた愛人の子章太(小山渚)という子供がいたが、新しい愛人が出来たためこのところ外泊することが多く、それが久造の怒りをかっていた。圭子には悲しい愛に生きる幹子の心も分かるし、久造の怒りも納得でき、それだけにかえってつらかった。英二は素朴で明るい反面、こうした悩み事をかかえながら生きる圭子の姿に何度か接しているうちに、いつしか圭子が忘れられぬ存在になっていった。そしてある日、家に帰らぬ母・幹子をしたって家出をし迷子になった章太を、英二が助け出したことから、英二と圭子の仲が急速に近くなっていった。やがて2人は愛し合うようになるが、様々な障害が立ちはだかる…。 舞台は北信濃の 戸倉上山田温泉 です。このあたりですかね。 もちろん行ったことはありませんし、私自身このドラマをまったく見たことがありません。ストーリーについても、上記の引用以上のことは知りません。 歌のイメージやストーリー、ドラマのタイトルなどから想像すると、最後は残念ながら心中するんでしょうね。 TBSチャンネルやTBSチャンネル2で再放送されるようなことがあれば見てみたいとは思いますが、悲劇が嫌い――とくに心中モノが嫌いな私にとっては怖いもの見たさに近いかもしれません。 つまり、54年前の今日が最終回にあたります。 ↩︎

江戸の桜田 雪が降る (1860年)

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万延元年三月三日の上巳の節句、早い話がひな祭り、頃は五ツ半時(午前9時ごろ)、あかりをつけましょ ぼんぼりに――ではなくて、総勢60余人からなる大老 井伊掃部頭直弼 の行列が桜田門外にさしかかったとき、お花をあげましょ 桃の花――でもなくて、18人の水戸浪士らが行列に襲いかかり、五人ばやしの 笛太鼓――いいかげんシツコいですが、早い話が大老を暗殺しました。世にいう 桜田門外の変 です。 赤穂浪士 の討ち入りや 二・二六事件 の襲撃のときは実際には雪は降っていなかったのですが、このときは実際に雪が降っていました。と、見てきたようなことをいう(笑) 60余人ものお供の者がついていながら、大老をむざむざ討ち取られてしまったのは、すべてが戦闘員というわけではなかったこともあるでしょう。 しかし、もっとも大きな理由は、この日は朝から雪が降っていたため、雪水がしみるのを防ぐために刀に「柄袋(つかぶくろ)」をつけていたことだといわれています。これでは刀をなかなか抜くことができません。 さらには、テロ集団がまさか白昼堂々と襲ってくることはないだろうという、油断というより固定観念のようなものがあったのかもしれません。 万延元年三月三日は今の暦では1860年3月24日にあたります。晩雪ではありますが、現在の平年値でも東京の終雪は3月9日、3月の降雪日数は1.4日ですから、とくに珍しい現象というほどではありません。ちなみに3月の最深積雪は1969年に記録した30cmです。 なお、藤原ハカセによると、この日赤い雪が降ったといって江戸の人は騒いだそうです。(1925年1月31日付東京朝日) 井伊掃部頭が桜田門外で暗殺された時にも赤い雪が降つたと云つて江戸人が騒いださうだ 桜田門外の変のあと、文久二年正月十五日に老中・安藤信正がやはり水戸浪士らに襲われる 坂下門外の変 が起こりました。 このときは老中側のテロ対策が抜かりなかった……というよりも、襲撃側の計画がかなりズサンだったらしく、老中は軽傷を負っただけで、襲撃側が全滅しました。 この日は現在の暦では1862年2月1日にあたり、「時期から見て雪が降っていたかも……」と思ったのですが、どうやら雪が降っていたという記録はないようです。 これは今の桜田門。“内堀ランナー”の通り道になっています。 ちなみに、筆者は桜田門と...