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5月, 2026の投稿を表示しています

ダービーへの人波に暴走車 (1987年)

1987年5月31日08時25分ごろ、東京都府中市の通称「宮町銀座通り」で、オートマ車が急発進して約50m暴走、歩行者の列に突っ込みました。この事故で2人が死亡、6人が重軽傷を負いました。当時しばしば発生していたオートマ車の急発進による事故です。 犯人は会社員白石順章(52)。当時の新聞は“容疑者”などという“敬称”がなく、すっきりしていて読んでいて気持ちがいいです。 この日、東京競馬場では第54回日本ダービーが行われました。歩行者の多くは東京競馬場に向かっていたようです。 ちなみに、勝ったのは4番人気メリーナイス、2着は今ではありえない22番人気サニースワローで、枠連6280円の当時としては高配当でした。 その後、京王線府中駅が高架化した影響で、このあたりの街のようすは当時とだいぶ変わっています。道も広くなっているはずです。現在、東京競馬場の行き帰りにここを通る人はそれほど多くないでしょう。

【2026年版】日本ダービーの芝コース草丈史

今年も東京優駿(日本ダービー)がやってきましたね。 毎年恒例のこの記事も、こちらのブログに移ってきました。毎年恒例と言いつつ、サボった年もありましたけど。 開催週の金曜日に JRA の公式サイトで発表される 馬場情報 から、ダービー週の芝コースの草丈を抜き出して並べてみました。 年 芝コースの草丈 2026 野芝約8~10センチメートル、洋芝約12~16センチメートル 2025 野芝約8~10センチメートル、洋芝約12~16センチメートル 2024 野芝約8~10センチメートル、洋芝約12~16センチメートル 2023 野芝約6~8センチメートル、洋芝約12~16センチメートル 2022 野芝約8~10センチメートル、洋芝約12~16センチメートル 2021 野芝約8~10センチメートル、洋芝約14~18センチメートル 2020 野芝約10~12センチメートル、洋芝約14~18センチメートル 2019 野芝約10~12センチメートル、洋芝約14~18センチメートル 2018 野芝約10~12センチメートル、洋芝約12~16センチメートル 2017 野芝約10~12cm、洋芝約12~16cm 2016 野芝約10~12cm、洋芝約12~16cm 2015 野芝約10~12cm、洋芝約12~16cm ...

5月27日の日本ダービー

日本ダービーは、今では5月下旬~6月上旬に定着していますが、その中で5月27日は日本ダービーの歴史を語る上で重要な日です。この日に行われたことは過去8回ありますが、ここではそのうちの3回について取り上げます。 1973年 まず、1973年。単勝支持率史上最高66.5%の ハイセイコー が敗れたのはこの日でした。 当時から思っていたのですが(ガキの分際で……(笑))、どうしてこんなに過剰人気になってしまったんでしょうね。弥生賞やスプリングSはやっと勝ったという感じだったし、NHK杯の走りから見て、どうも左回りは苦手そうと思われたし(日本短波放送の解説者も実際に指摘していました)、母父カリムからくる距離不安もあったにもかかわらずです。しかもそろそろ疲れも出てくるころだと思うし。今なら、ディープなんたらのときのようにJRAがあおったりしない限り、こんなに人気にはならないと思います。 でも、ハイセイコーを除くと、ほかに勝ちそうな馬が見当たらない……という感じもありました。 ひとつ言えることは、単勝支持率66.5%の割に複勝の配当が140円というのは、1着、2着に人気薄が来たこともありますが、かなりおいしかったと思います。ハイセイコーの複勝は元返し……という思い込みがかなりあったのでしょうか。 ハイセイコーについての記事や番組を見ると、明らかに時代考証が間違っていたりするものもあり、笑ってしまいます。 よくあるのは石油ショックとハイセイコーの中央デビューの時期の順序の取り違えです。年表などを見れば分かりますが、石油ショックのほうがあとです。 また、必ず出てくるのが自分の人生を投影してハイセイコーを応援する人が多かった……という話ですが、アンケートでも取ったんでしょうか? 基本的に誰かさんの暗い詩の読み過ぎでしょう。私はあのなんともひねくれた暗さが嫌いでした。 ちなみに、ちょうどハイセイコーのダービーの直後くらいに「演歌の怪物ハイセイコー」というキャッチフレーズでデビューした 藤正樹 という丸刈りに学生服(紫だったかな)のおよそ正気の沙汰とは思えないようなスタイルの15歳の演歌歌手がいてそこそこ話題になっていたのですが、次のような会話を耳にしたことがあります。 「演歌の怪物ってのはわかるけど、ハイセイコーって何?」 「しらな~い」 ハイセイコーは国民的に...

史上最強のダービー馬 (1975年)

史上最強の日本ダービー馬は カブラヤオー です。異論は認めません。 ゲートが開くやいなや菅原騎手が出ムチを入れて飛び出したのを見て、こりゃダメだ~と思った人も多かったと思います。1コーナーをまわるあたりからはテレビ馬トップジローに絡まれて、2コーナーまでに後続を10馬身以上離し、前半1000mの通過は58.6秒という、誰が見ても暴走でした。 さすがに最後(直線)はバタバタになって、4コーナーは内ラチいっぱいをまわったはずなのに、右にヨレ、左にヨレ、ゴールでは馬場の4分どころを走っていました。それでも後続には抜かせませんでした。 フジテレビの盛山アナウンサーによる、 カブラヤオーがんばれ、がんばれ、カブラヤオー、勝てそうだ、勝てそうだ という実況は、ベルリン五輪での河西アナの 前畑ガンバレ!! と並ぶ放送史に残る迷実況でしょう。 もっとも、盛山アナにはハイセイコーのNHK杯のときの あと200しかないよ! という「前科」もありました。さらにいえば、1973年の秋の天皇賞では トーヨーチカラ優勝~!! と実況していました。優勝はタニノチカラだったのですが。 ちなみに、ポニーキャニオンから出ていたこのダービーを収録したビデオやDVDでは、カブラヤオーを先頭に馬群が1コーナーにかかるあたりで、突然なぜか映像が観客席に向いているカメラに切り替わっています。実はこのとき先団を追いかけていたカメラの画像が数秒間乱れていたのでした。リアルタイムで見ていたからわかります(笑) 一方、NHKのドラマ「男たちの旅路」のたしか「路面電車」という回で、このダービーのスタートからゴールまでがオープニングに使われていました。フジテレビのではないので1コーナーで乱れていません。 カブラヤオーは史上最強の日本ダービー馬ですが、もちろんベストダービーもこの1975年のダービーです。 ついでに、カブラヤオーにまつわるどうでもいい話。 かつて ターフサウンドステーション (TSS)という競馬場内のミニFM放送がありました。ダービー前日の土曜日、「記憶に残るダービー馬は?」というようなテーマでメッセージを募集していたことがありました。もちろんカブラヤオーで投稿したら、なんと読んでいただけました! ラジオへの投稿が読まれたのは実はこれが初めてでした。ただ前半1000m...

「君の名は」数寄屋橋での出会い (1945年)

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1945年5月24日の夜、米軍による爆撃の最中の数寄屋橋で後宮春樹と氏家真知子が出会い、半年後の11月24日の夜にこの橋の上での再会を約束するというのが、映画 君の名は の冒頭のシーンです。念のために書いておくと、「君の名は。」ではありません。 放送時間中は女湯が空になったという都市伝説のあるラジオの連続放送劇も同様なんだと思いますが、聞いたことはありません。 しかし実際には、5月24日の夜に空襲はなく、このころ東京に空襲があったのは24日未明と25日夜〜26日未明でした。このうち数寄屋橋付近への空襲は25日夜〜26日未明です。 奥住喜重・早乙女勝元『新版東京を爆撃せよ―米軍作戦任務報告書は語る』によると、この作戦命令は 第21爆撃機集団野戦命令79号 で、発令は25日02時00分 (日本時間)、爆撃は25日22時38分にはじまりました。 原作者が日にちを間違えたのか、そうでないとすればなんらかの理由で変えたのでしょう。どういう理由だったのかは知りません。 ちなみに、1991年にNHKの連続テレビ小説で「君の名は」(ヒロイン : 鈴木京香) が放送されたときは、“5月のある日の夜”とぼかされていました。 さて、半年後の11月24日、 下心いっぱいの 春樹は約束どおり数寄屋橋のたもとの交番の前に行きますが、真知子にすっぽかされます。それもそのはず、この交番は1944年6月から1946年6月まで閉鎖されていたため行きたくても行けなかったのです……ではなくて、実際には、確か四ツ谷の家が空襲で焼けたため佐渡の親戚宅に身を寄せていたのではなかったでしょうか。 あきらめのつかない春樹は、未練がましく1年後の1946年11月24日にその場所へ行ってみると、なんとそこに真知子があらわれるというできすぎた展開。再会を約束したとき、「今年会えなかったら来年、来年会えなかったら再来年……」と春樹が言っているので、まあ不自然ではないですが。 春樹がシメシメと思ったのもつかの間、真知子から重大発表が! ……私、明日……明日……結婚するんです。 ここから春樹の人妻追っかけ人生がはじまります。 次の写真は現在の……ではなくて (笑) 17年前の数寄屋橋。そういえば、最近あのあたりには行ってません。 それにしても、 君の名は にしても 愛染かつら にしても、独身男が...

大仏の頭が落ちる (855年)

斉衡二年五月二十三日(ユリウス暦で855年7月10日)、東大寺から都に、「大仏の頭が落ちた」との報告がありました。 五月十日、十一日に地震の記録があることもあり、地震によって落ちたとされることがあります(六月二十一日、二十五日にも地震の記録があり、ついでに六月一日には日食の記録もあります)。しかし、『文徳実録』には 毘盧舍那大佛頭自落在地 とあるだけで、地震で落ちたとは書いてありません。 奈良時代と言えば陰謀と呪詛がうごめく時代、誰かが故意にやったのかもしれませんが、もうとっくの昔に時効が成立していますね(笑) 奈良県警というと、2時間サスペンスや内田康夫センセ作品だと誰だろう? 直接関係ないですが、5月23日というと、1960年5月22日のチリ沖地震(M9.5)によって発生した津波は太平洋を渡っている最中で、まだ日本には到達していません。すでに到達したハワイでは最大波高10.5mを記録しています。