5月27日の日本ダービー

日本ダービーは、今では5月下旬~6月上旬に定着していますが、その中で5月27日は日本ダービーの歴史を語る上で重要な日です。この日に行われたことは過去8回ありますが、ここではそのうちの3回について取り上げます。

1973年

まず、1973年。単勝支持率史上最高66.5%のハイセイコーが敗れたのはこの日でした。

当時から思っていたのですが(ガキの分際で……(笑))、どうしてこんなに過剰人気になってしまったんでしょうね。弥生賞やスプリングSはやっと勝ったという感じだったし、NHK杯の走りから見て、どうも左回りは苦手そうと思われたし(日本短波放送の解説者も実際に指摘していました)、母父カリムからくる距離不安もあったにもかかわらずです。しかもそろそろ疲れも出てくるころだと思うし。今なら、ディープなんたらのときのようにJRAがあおったりしない限り、こんなに人気にはならないと思います。

でも、ハイセイコーを除くと、ほかに勝ちそうな馬が見当たらない……という感じもありました。

ひとつ言えることは、単勝支持率66.5%の割に複勝の配当が140円というのは、1着、2着に人気薄が来たこともありますが、かなりおいしかったと思います。ハイセイコーの複勝は元返し……という思い込みがかなりあったのでしょうか。

ハイセイコーについての記事や番組を見ると、明らかに時代考証が間違っていたりするものもあり、笑ってしまいます。

よくあるのは石油ショックとハイセイコーの中央デビューの時期の順序の取り違えです。年表などを見れば分かりますが、石油ショックのほうがあとです。

また、必ず出てくるのが自分の人生を投影してハイセイコーを応援する人が多かった……という話ですが、アンケートでも取ったんでしょうか? 基本的に誰かさんの暗い詩の読み過ぎでしょう。私はあのなんともひねくれた暗さが嫌いでした。

ちなみに、ちょうどハイセイコーのダービーの直後くらいに「演歌の怪物ハイセイコー」というキャッチフレーズでデビューした藤正樹という丸刈りに学生服(紫だったかな)のおよそ正気の沙汰とは思えないようなスタイルの15歳の演歌歌手がいてそこそこ話題になっていたのですが、次のような会話を耳にしたことがあります。

「演歌の怪物ってのはわかるけど、ハイセイコーって何?」

「しらな~い」

ハイセイコーは国民的に有名だったというように語られていますが、実際は競馬の町福島においてさえ藤正樹以下の知名度しかなかったのです(笑)

1979年

それから6年後、カツラノハイセイコがリンドプルバンの猛追をハナ差しのぎきり、6年前の同じ日に3着に敗れ去った父の無念を晴らしました。

いななけカツラノハイセイコ」というレコードが出ましたが、なぜか歌手は増沢末夫。ヲイヲイって感じでした。しかもB面が「さらばハイセイコー」ときては、どう見ても手抜きでした。

ちなみに、「いななけカツラノハイセイコ」はどこのカラオケにもありません。「さらばハイセイコー」なんて歌いたくないし、「いななけカツラノハイセイコ」をぜひ置いてください。今でも歌詞を見ずにフルコーラス歌えるという、人間国宝的存在です>σ(;)

1990年

1990年、史上最高入場者19万6500人の大観衆による伝説の「ナカノ」コールはこの日でした。東京競馬場から4kmほど離れている当時の私の家まで聞こえてきました(爆) もちろん電波に乗ってですが。

この現象について調査したある社会学者の研究があって、なかなか面白かったのですが、論文をどこかにやってしまいました。

「ナカノ」コール以降、しばらくは何とかコールが定番になりましたが、いつのころからかなくなりましたね。もしかすると今でもあるのかもしれませんが、電波には乗らなくなりました。

勝ったアイネスフウジンの馬主が、のちに近くのラブホテルで他の会社の社長2人と集団自殺するとはね。

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