隅田川に戻った早慶レガッタ (1978年)
春のうららといえば、一時期高知競馬場が有名でしたが、大昔は隅田川でした。その隅田川の春の風物詩といえばやはり「早慶レガッタ」。今年は4月19日に行われます。
早慶レガッタは1905年に隅田川ではじまり、敗戦後、1947年に復活したときも隅田川でした。1957年の“あらしのボートレース”も隅田川。このように隅田川とは切っても切れないイベントでしたが、川の汚染や首都高向島線の架設工事などによって、ボートレースのできる環境ではなくなりました。そして、1961年を最後に隅田川を離れたのです。江戸時代から続く夏の風物詩「両国花火大会」も1961年で廃止になっています。
時は過ぎ、1970年代の後半になると、汚染対策も若干進んで隅田川にも魚が戻るようになり、関係者の努力もあって早慶レガッタは隅田川に帰ってきました。
その隅田川復活の早慶レガッタは1978年4月16日に行われました。
この日は、関東の南東海上の高気圧と日本海の低気圧の間で気圧の傾きが急な領域が関東南部にかかっており、東京では朝から南〜南南西の風が吹き荒れていました。大手町でも最大風速14.8m/s、最大瞬間風速24.5m/sでしたから、隅田川の川面ではもっと強かったと思われます。
早慶レガッタのメインイベントは対校エイト。予定より遅れて15時17分に永代橋をスタートしました。
スタート直後こそ早稲田が出たものの、早稲田の「韋駄天号」にはスタート前から水がたまっており、スピードが乗らないばかりかコントロールを失っていました。その後も清洲橋(615m地点)で2艇身ほどリードした慶應艇の水しぶきを受け、ますます浸水が進むという悪循環。結局、なんとか沈めないようにゴールまでもたせるのが精一杯。レースは慶應が55ストローク、距離にして500mもの大差で圧勝しました。
勝った慶應クルーはコックスを水に“投げ込んだ”後、われ先にと隅田川に飛び込みましたが、水はとくに汚くはなかったそうです。
このレースを見に隅田川に集まった観衆は1万8000人。さらに川岸のマンションやビルの屋上の見物人、通りすがりの通行人を含めると10万人くらいになるとか。
早慶レガッタの隅田川復帰の大成功も呼び水となり、7月29日、両国花火大会が17年ぶりに開かれることになります。当初の予定は7月22日だったようですが、潮回りの影響により1週間延びました。
このせいで板橋と戸田橋の花火大会と同じ日になり、板橋区・戸田市側と東京都との丁々発止の果たし合い的展開になるのですが、それはまた別のお話。